助産師だけど 不妊です‼︎

結婚4年目です。バリバリ助産師してたけど、肝心の我が子にはなかなか恵まれず…。他人様のベビーばかり取り上げている場合ではなーい‼︎てことで、只今助産師をお休みして絶賛不妊治療中です‼︎そんな日々の中で体験したことや感じたことを記していこうと思います。

貴重児

産科の現場で働いていた時

「貴重児」という表現をすることがありました。

 

辞書には

”通常の妊娠、出産に比べて産むことが出来る率が低い場合に生まれた赤子”

と書いてあります。

高齢初産や不妊治療、また不育症や死産を乗り越えて

授かった赤ちゃんたちのことです。

 

万が一ダメになった場合

次の妊娠が難しいかもしれない

あるいは普通の妊娠の何倍もの労力がかかって授かっている

だから「貴重な赤ちゃん」。

 

時には「貴重児」だからという理由で

帝王切開での出産になる場合もあります。

自然分娩をして何か起こるといけないから…と。

帝王切開がまるっきり安全という訳でもないのに。

 

わたしがまだ若い助産婦だったころ

正直この「貴重児」という表現が

違和感に感じて仕方ありませんでした。

 

命はすべて貴重なものだし

どんな人でも大切な命に何かあれば

同じように辛くて悲しいのだから

そこに差をつけるのはおかしい。

 

そう思っていました。

 

 

でも不妊治療をやり始めて

流産も経験してみて

今思うこと。。。

 

やっぱり「貴重児」なんですよね。

 

ただそれは

命に差をつけたり優劣がある

ということとは違っていて

医療者側の「心構え」みたいなものではないかと。

 

上手く言えないのだけど(´・_・`)

 

命はすべて平等に大切で貴重なもの。

だからどんな患者さんにでも

同じように誠心誠意関わっていくべきだし

出産に医療介入が必要であれば

平等に判断しその医療を平等に提供していく。

 

だけど

高齢初産の方や

不妊治療で妊娠した方や

不育症や死産を乗り越えて妊娠した方が

どんなに大変な思いをして命を授かり

どんなに不安な気持ちで出産まで過ごし

やっと我が子をその腕に抱くことが出来た時の

「喜び」や「安心」と言った言葉では

表現しきれない気持ちを

しっかり理解して関わりなさいよ‼︎

ってことなんじゃないかと。

 

結婚してすぐに自然に妊娠して

何のトラブルもなく出産まで至った人でも

もちろん妊娠中は不安でいっぱいだし

我が子を抱けた瞬間はなんとも言えない気持ち

だと思います。

 

だけどやっぱりそのプロセスが違えば

不安や喜びといった気持ちの大きさに

差が生じるのは自然なことではないかと。

 

何度も言いますが

だからって関わり方に差をつけろということではありません。

 

医療に必要な知識や技術を身につけるだけじゃなくて

人として患者さんそれぞれの「想い」を

理解できるようになりなさい

ということなのではないかと。

 

だから「貴重児」という言葉自体には

あまり大きな意味を持たせる必要は

ないのかなーとも思います。

 

これからまだまだ

わたしの中でも考え方は変わるかもしれないけど

もしまた助産師に復帰できたら

前より少しだけ成長出来てる気がします。